鴨川もるもー

日々の日記、雑記ブログ

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年 著:村上春樹

村上春樹 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

長い日数をかけて、ようやく通読しました。
読み始めてから、しばらく読まない期間がありましたが、後半はストーリーが気になって一気に読みました。

個人的には、短編でもなく大長編でもないこのぐらいのボリュームの小説が好みです。適度に読み応えもありますし。
あまり話が長いと、頭がついていきません。特に村上春樹さんの文章ですと。
適度な長さだと、何度も読み返せるので、その点は良いですね。

終盤になるにつれ、左手親指に押さえられたページ数と話の進むペースが合わない。よもやよもやと読み進めていくと、嫌な予感は的中。全ては自分で考えろパターンの結末でした。
話自体は順を追っての聖地巡礼・鎮魂歌なので理解はし易いはずなんですが、途中で挿入されるエピソードとお得意の夢という形の別世界での出来事等もあり、私にとって難解です。

ジブリ映画よろしく、こんなの一般人が読んで深層まで分かる訳ないやろー!って、言いたくなります。
あれは〇〇の象徴で、それがこうなったからこういうことなのね…。だから作者の主張は✕✕なのか。そら難しすぎるわー!って、言ってるのが好きなんですよね。
読者に読書感想文書かせたら、9割の人は結局何が言いたいのかよく分かりませんでした。という文章になると思います。単に私がただバカなだけなのか。

この本がどれくらい売れたかは知りませんが、当時は平積みされて売られていたはず。皆さんどんな気持ちで読んでいるんでしょう?
村上春樹さんの挑戦状と対峙するお気持ちでしょうか。はたまた、親密な手紙を受け取って読むようなお気持ちでしょうか。

ともかく、初読では消化不良で、再読しても消化できる予感もありません。物語の本質が何なのか。当時のバックグラウンドから理解する必要があるのかなと。
色彩を持たない(と自覚している)つくる君が、巡礼でそれぞれから色を貰っていたことに気付かされ、カラフルになりましたと。テーマは成長や再生。そんな単純な話だけでは無いでしょう。
鎮魂歌。私にはトンチンカンでした。

最後まで語られない結末やキーワード、フェードアウトして最後まで戻ってこなかった人物、わざわざ途中で挿入されたエピソード。どれもに深い意味が与えられているはずです。象徴的で思わせぶりな単語を並べ、それっぽい意味の無い文章を作ったとも思えませんし。
文章って、感覚で作るのでははなく、理論で作るんですね。小さな頃は知りませんでした。

そういえば、蜂蜜パイでも沙羅って人物が出てましたよね。リンクがあるのか、もう一度読んでみようかなぁとも思います。

あまりにも分からなかったので皆さんの解釈を断片的に調べてみると、核心に迫ったような解説もありました。恐らく、ほとんど正解でしょう。
一般人にそこまでの理解は無理ってもんですよ。
世の中には鋭い観察眼の方もおられるのですね。頭に何か浮かんでも、それを分かりやすい文章として他人に提示できるのが凄いです。羨ましい。

私は車窓から見える景色をただずっと眺めてるだけでも、十分楽しいものです。遠くを見ると、ゆっくり景色が流れて、橋を通ると、目の前に鉄橋の鉄骨が連続して横切ったり、下を見ると、凄い勢いで線路が分岐したり、合流したり。
終着駅に着いて、一人で余韻に浸ります。
そしてもう一度電車に乗り込み、同じことを何度も何度も。
子供みたいですけどね。飽きずに繰り返す。何がそんなに面白いのかって、子供には説明できないでしょう。それと一緒にですよ。だって、ずっと子供ですから。
限りなく透明なブルーのリュウを思い出しました。そんないいものではないですが。

やっぱり本が好きですね。そう思わせてくれます。

この作品を通して、作者は何を描きたかったのか。何を想って描いたのか。伝えたかったのか。
それは後にもう一度読み返して、自分で答えを探すとします。