鴨川もるもー

日々の日記、雑記ブログ

山頭火句集 種田山頭火


何度読んでも、何度読んでも、山頭火の心境に近づけないでいる。
目で字を追うことはできる。口に出すこともできる。文字が表わす表面上の意味を理解することもできる。
しかし、山頭火がどんな気持ちで句を詠んだのかまでは、どんなに理解したくても、いつまで経っても理解することができない。

句も型破り。
五七五の定型俳句とは異なる自由律俳句。俳句の型をも突き破って、句を生涯残し続けた。

人生も型破り。
少年期に母が自殺。早大文学科中退。酒造業を営むが破産、流転。出家得度し、乞食流転の旅に出る。山口県小郡町の其中庵に住し、各地流転。松山市一草庵で死去。
人生の大半を乞食(コツジキ)修行として、定宿が無い状態で流転し続けた。
句を愛し、酒を愛し、理想と現実の間で自分に正直であろうとするが余りの葛藤。誰よりも人間らしい。 

句を理解するには、生まれ育った環境が違いすぎる。
宿無しになって、雨に打たれ、その日その日鉄鉢で布施を頂きながら、ころり往生を願い、本当の自分の句を作る。
こんなことをしてようやく、山頭火の句本来の意味を頭ではなく身体で理解できるようになるのでは。

当時は、山頭火のような生き方も許容される時代の空気感もあったのではないかとも思う。一部の人間は山頭火の生き方にも理解を示し、援助した者もあったという。
現代よりも多様性に寛容であったのではないか。社会が多様であらざるを得なかったとでも言うべきか。

山頭火の句は、寂しい句や静かな句、自然を捉えた句が多い。
もちろん一人で葛藤して作り上げた句であるので、そういった句が多くなるのであろう。それを詠んでいると、不思議と自分の心までも静まり返る。

自分自身、決まりきったルールに縛られて生活し続けて生きているので、心のどこかでは山頭火の生き方に憧れている。
レールから外れ、いつかはこんな句を詠みたい。

分け入っても分け入っても青い山

そして死ぬ間際までずっと、この句集は読み返し続けるだろう。
死に近づけば近づく程、理解が進むような気がする。
生きるということは、同時に死に向かうということでもある。